当店にあるレコードの一部をご紹介いたします。
コラム「死に様エピソード 」
リーモーガン
〜スラッグスでの最後の演奏、そして銃声〜
1972年2月19日、雪が降りしきるニューヨークのロウアー・イースト・サイド。
ジャズクラブ「スラッグス・サルーン」では、リー・モーガンが熱のこもった演奏を披露していた。
その休憩時間、静かに店に入ってきたのが、彼の内縁の妻、ヘレン・モーガン。
彼女は、かつて薬物に溺れていたリーを救い、住む場所、食事、日常生活——すべてを整え、音楽活動に立ち直らせた献身の人だった。
しかしその夜、彼女の目に映ったのは、リーが若い女性(ジュディス・ジョンソン)と親密にしている姿だった。
激しく動揺したヘレンはリーと口論になり、彼によってクラブの外へ追い出される。
そのとき、彼女のバッグから銃が落ちた。
ヘレンはそれを拾い上げ、再びクラブへ戻ると——リーの胸を撃った。
クラブは一瞬にして騒然となり、観客はパニック状態だった。
胸元から静かに赤いものが広がっていくのを呆然としてヘレンは見つめていた。
その夜は大雪で交通が麻痺しており、救急車の到着は遅れた。
彼はクラブの片隅で、帰らぬ人となった。
事件後、ヘレンはその場で逮捕され、後に有罪判決を受けた。
彼女の人生、そしてこの事件の真相に迫ったドキュメンタリー『I Called Him Morgan』では、晩年の彼女のインタビュー音声が残されている。
「私が彼を殺した。でも…彼が死んだ瞬間、私も終わったのよ。」
キャッチコピー
「ファンキー・ジャズの革命児、死に場所はステージだった」アルバム概要と逸話
『The Sidewinder』は1963年12月に録音され、翌年Blue Note Recordsよりリリース。
ジャズとソウル、ブルースの融合という革新的なアプローチは、のちのジャズ・ファンクへとつながっていく。
タイトル曲「The Sidewinder」は、録音中にトイレで思いつき、トイレットペーパーにメモしたという逸話が残る。
レコード会社の期待を裏切るヒットを記録し、ジャズアルバムとしては異例のビルボード25位にまで上昇した。
この成功でリーは再び脚光を浴び、精力的に活動を続けるが、私生活は徐々に崩れていった——。
アルバムの写真と曲のリンク
銃声のあとにも、音楽は鳴り続ける
リー・モーガンの命は突然奪われたが、その音楽は永遠に生きている。 ジャズが“生”を鳴らす音楽だとするなら、リー・モーガンのトランペットは、命そのものを吹き込んでいた。
今宵、バー(Jazz D-Room)の片隅で『The Sidewinder』に耳を傾けてみてください。
そこには、命を賭して吹かれた音がある。